無外流とは 流祖辻月丹

無外流とは index
1)流祖辻月丹
2)無外流の伝播
3)中興の祖 そして未来へ

13歳、京
 十三歳、きっとまだ幼さが残っていたであろう少年辻兵内は京都に出てきた。剣聖宮本武蔵が没して三年たったころ に生まれた兵内である。すでに戦国の気風もなく、武勇だけでは侍の出世は見込めない。
 自然自分は何者か、なにを求めているのか、と向き合わざるを得ない。
 今から修行の日々を京で送る。
 そうだ、始まりは京なのだ。
 見つけた師は山口流の山口卜真斎だ。

26歳、江戸
 あれから13年たった。
 愛宕山に祈誓した。北陸越後へ武者修行の旅をした。そしてようやく師の山口卜真斎(ぼくしんさい)から免許の巻物を許されたのだ。
 これから江戸だ。人生の勝負を賭けるのだ。山口流の看板を掲げよう。江戸へ向かう辻兵内の目には空の青さが目に染みるようだ。

江戸での苦戦、麻布吸江寺へ
 麹町の道場は閑古鳥が鳴いていた。
 技術だけでは伝えるものがない。自分に欠けているものがそれだとようやく気づいたのは大人になった証拠だろうか。武士としての素養も学びなおそう。
 それは禅だ。
 そして禅を深く知るための中国の古典も教えてもらおう。
 辻兵内の足は禅寺、麻布吸江寺へ向かう。新しい修行がはじまるのだ。


34歳 居合
 居合にも出会った。
 師は多賀自鏡軒。師の山口卜真斉が江戸に来たことがある。「見せてみろ」と
言うから、試しに灯明の火をじっと見つめて集中した。
 居合の本義は抜刀の一瞬にあり。
 その抜きつけだけが居合なのだ。
 だから、抜き打ちのその一刀で灯明の火を消して見せた。このころは絶対の自
信があった。「もう一度」「もう一度」と師は言うから、結局三度消した。
 最後はわが師も感嘆してくれた。
 34歳。しかし、人生の光が見えない。


45歳、卒業証書、偈(げ)
 京から江戸に出て、20年近く経った。ようやく卒業証書がもらえる。
 それは言葉だ。それを偈(げ)と言う。道を教えてくれた神州和尚がくれるが、元々は亡くなった石潭(せきたん)禅師に師事していた。だから石潭和尚の名で
くれるという

無外流の誕生
 もらった偈は五文字の四行からなる漢詩の形だ。五言絶句の詩形式の卒業の言葉はこんな内容だ。

 一法実に外無し
 乾坤一貞を得
 吹毛まさに密に納む
 動着すれば光清し

 宇宙の真理は一つでほかにない、ではその真理とはなんだろう。
 とまれ、その真理を追いかける流派にしよう。人生を賭けてたった一つの、最も重要な真理を追いかける流派なんて素晴らしいではないか。
 わが流派にとって最も重要なこの一句目から流派名をとろう。
 無外流。
 45歳、まだいける。
 名前も変えよう。
 辻月丹
 悪くない。

79歳 真理は最後に初心に戻る
 あれからいろいろあった。大名たちがこぞって習いに来た。後世に自分の見つけた真理を残すため、形の名前にそれを隠した。すべての法則はたった一つの真理に行き着く。
 それはこの形の抜き打ちのただ一刀だ。
 後の弟子たちが「基本一」と呼ぶ抜き打ちの一閃。その形の名前は「万法帰一刀」すべてはこの一刀に帰る。基本中の基本に戻るのだ。基本中の基本とは最初に学ぶその一閃だ。
 「さらに参ぜよ、三十年」
 弟子たちに残してやろう。

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