鵬玉居合(イアイ)スクールとは

1)鵬玉居合スクールとは
 通信教育「鵬玉居合スクール」のサイトです。
 鵬玉会の無外流居合を通信教育で学べます。「鬼滅の刃」「るろうに剣心」で日本刀に興味をもった方、小学生や中高生の部活の代わりとしてもあなたを歓迎いたします。
 全国どこにいても(支部がある地域でも)鵬玉居合スクールで通信教育を受けることが可能です。
 また、全国どの支部道場にも出稽古として参加できます。
 支部道場生が、なんらかの都合で稽古に行けない時期にオンラインに切り替えて稽古を見てもらうことができます。
 その地域に5名の会員ができれば、ご指導に行くことも可能です。

2)「鵬玉居合スクール」が有効な理由
(1) 「生かどうか」が問題なのではない。「誰を範とするか」が問題なのだ。
 居合という武道の性格上、見せる、してもらう、違うところを理解してもらい、修正していく、という作業が指導では生じます。
 それは生(道場で指導する)でも通信(オンラインで指導する)でも同じことです。
 そうであれば問題はただ一つ、誰に指導してもらうか、です。
 鵬玉居合スクールは、会長と技術指導委員会の指導を受けます。
 全国どこにいても心配はありません。


(2) 通信でのノウハウは万全
 会長の武田鵬玉は「今でしょ」で有名な現役高校生のための予備校の校長をしていたことがあります。
 最初は10名も生徒がいなかったその予備校を預けられ、2年後には全国ベスト10の規模にしました。
 その予備校は録画したビデオで学習をさせるシステムでした。つまり通信教育です。ビデオを渡すだけでは結果は出ません。九州の片隅から、高校の成績下位から始まった生徒を東大に合格させることを始め、多くの成功者を出しました。
 そのノウハウが「鵬玉居合スクール」には詰まっています。
 ※その進学技術をかわれ、その後進学校として有名な高校の教師にひっぱられました。結果を出せない校長、教師はいらない、そんな厳しい環境で手に入れたメソッド。実はそういう指導のメソッドが鵬玉会の指導を支えています。

2)鵬玉居合スクール 5つの特長
(1) YOU TUBE、動画で双方向!
 素晴らしい教材と深度のチェックをするためのツールが揃っています。
 すでに有段者も出し、実績は万全です。日本全国どこにいても、「斬れる居合」の鵬玉会の無外流を学ぶことができます。
 稽古の仕方も個別に相談しながら、ご一緒に考えていきましょう!

オンラインにもジュニアクラスが


(2) どの地方にいても可能!スクーリングも!
 全国どこにいてもホンモノの指導が受けられます。また、支部道場に出稽古もできます。5名以上の会員が近隣で生まれれば指導者が指導に行きます
 最も望ましい環境が、この鵬玉会の通信教育「鵬玉居合スクール」です。
(3) 会員だけの鵬玉会のバイブル、「会員通信」が届く!
 読み物としても読みごたえがあるコンテンツの制作は誰にでもできるものではありません。
 週刊プレイボーイを100万部雑誌にした伝説の元編集長で、現在は作家の島地勝彦先生の薫陶を得た鵬玉会会長だからできること。
 この会員が居合のバイブルとしている、「会員通信」が届きます。
 鵬玉会の会員通信は、あなたの武道人生を豊かに彩ります!
(4) 支部ができたときには、そのまま一門として所属できる!
 先代 故塩川寶祥先生、現無外流明思派宗家の「斬れる居合」をあなたにも伝える鵬玉会。その支部が必ずあなたの町にできます。
 かつて極真空手草創期には通信教育で学び始め、後に支部長や分支部長になっていった先達がいらっしゃるように、実績を積み上げてきた鵬玉居合スクールでも、すでに有段者となり場所長になっている実際にいます。


(5) 一門の演武やイベントに参加できる!
 新選組が実際に布陣した地での天然理心流との演武。北辰一刀流や夢想直伝英心流との演武。会津松平家14代の御当主松平保久(もりひさ)公の御前での供養祭演武。世界遺産を記念した演武。福岡一宮である、筥崎宮での放生会奉納演武。あるいは京都市、京都市教育委員会が後援する全日本形試合選手権大会。
 そんな通常はありえない格式高い演武やイベントが鵬玉会なら目白押し。あなたにもチャンスがあります。なぜなら本部・支部会員もスクール会員も同じ鵬玉会一門だからです!

宗家プロフィール 新名玉宗(ぎょくそう)

国際居合道連盟鵬玉会とは index
1)宗家プロフィール
2)会長プロフィール
3)国際居合道連盟鵬玉会紹介1 ミッションと稽古内容
4)国際居合道連盟鵬玉会紹介2 鵬玉会ものがたり / 役員紹介
5)国際居合道連盟鵬玉会規約

修行時代
本名 新名豊明(にいな・とよあき)。
 1948年(昭和23年)10月2日大分県津久見市生まれ。
 若年の頃より合気道を始めとする各種武術を学び、20代の時、神道夢想流杖道と無外流居合兵道の師に出会う。
 その後、三菱重工業株式会社に勤務するかたわら、全三菱合気道同好会の中で武道の研鑽を積んだ。86年同会において杖道、居合道の指導者に就任。
 87年、39歳にして東京都杖道連盟を創設、杖道と居合道の一般への普及に着手する。

国内最大級の無外流の組織へ
 94年には同連盟の居合修道者を中心に武道教授団体吹毛会(すいもうかい)を設立、その後、吹毛会を関東居合道連盟等の15団体に分割し、07年にNPO法人無外流を設立。
 また右手が不自由な人達が居合道や組太刀を修道出来るように玉心真刀流(ぎょくしんしんとうりゅう)を編み出す。
 08年に財団法人無外流を設立し代表理事に就任し、国内最大級の組織に成長させ、12年7月に退任。
 現在は、技術指導部・国際部の部長を兼務。

99年宗家継承
無外流居合兵道の修道者としては、86年師範、96年免許皆伝、98年範士、99年宗家継承(無外流明思派宗家の名乗りは2004年から)。
 他に、玄黄二刀流(げんこうにとうりゅう)宗家、東征流短杖(とうせいりゅうたんじょう)護身術宗家、玉心真刀流宗家、神道夢想流杖道、内田流短杖術、一心流鎖鎌術、一角流十手術、中和流短剣術各免許皆伝範士八段。

宗家から免許を受領した直弟子、武田鵬玉会長を紹介>>>

中興の祖、そして未来へ

中興の祖 中川士竜申一
 無外流を整理し、「中興の祖」と呼ばれるのは高橋家から継承した中川士竜申一です。(敬称略;竜の記載は石井悟月先生の記載による)
 その師は高橋赳太郎。
 すでに自鏡流居合は無外流居合と呼ばれていたようです。
 この高橋伝の無外流の形は孫の高橋秀三と中川士竜に受け継がれました。
 中川士竜は戦後、無外流の整理編纂を図り、「無外流居合兵道」として普及させました。「無外全書」「無外真伝兵道考」を著すなど、現在の隆盛の基礎を作ったと言えるでしょう。

左から塩川寶祥先生、大森曹玄老師、中川士竜先生

無外流居合兵道考
 中川士竜にインタビューしたとされるものの中には、師の高橋赳太郎の紹介で土佐土方派の川崎善三郎の指導を受けたことがある、と記載があると言います。高橋伝とは違う系譜の技も編纂し、無外流居合兵道として整理、現在に残したと推測されます。
 私たちが今日無外流を系統だって学べるのは、中川士竜の足跡あってのことと言えるでしょう。

姫路藩酒井家の系譜の後継者
 姫路藩酒井家の系譜を整理した中川士竜の後継者については、裁判も行われるほど紛糾したことが知られています。
 その関係で現在はいくつかの道統が存在することとなりました。代表的なところでは、石井悟月善蔵の系統、塩川寶祥照成(ほうしょうてるしげ)の系統、中川士竜の晩年に皆伝を授かった師範たちの道統、そしてその皆伝をさらに授かった新名玉宗明思派宗家の道統。さらに分派した系譜や免許を得ることなく分裂したグループに至っては悲しいことですが枚挙の暇がありません。

関東から全国、世界へ普及させた新名玉宗明思派宗家の門下は
 師の新名玉宗宗家の直弟子として武田鵬玉会長は免許を受領。鵬玉会を率い、全国、そしてへ無外流居合を普及することに挑戦しています。
 新選組のご縁で天然理心流九代目宗家や北辰一刀流宗家六世との親交、会津松平家第14代ご当主松平保久公の午御前での演武、東芝のCMや東映の居合監修など国内での活躍の他、全米3大ネットワークNBCの東京オリンピック特番など、海外からの依頼も多くなっています。
 東武トップツアーズ、復興庁との福島復興事業、熊本県の肥後おおづスポーツ文化コミッションの事業など、行政からの依頼も受け、さらに普及に挑戦は続いています。

無外流とは 流祖辻月丹

無外流とは index
1)流祖辻月丹
2)無外流の伝播
3)中興の祖 そして未来へ

13歳、京
 十三歳、きっとまだ幼さが残っていたであろう少年辻兵内は京都に出てきた。剣聖宮本武蔵が没して三年たったころ に生まれた兵内である。すでに戦国の気風もなく、武勇だけでは侍の出世は見込めない。
 自然自分は何者か、なにを求めているのか、と向き合わざるを得ない。
 今から修行の日々を京で送る。
 そうだ、始まりは京なのだ。
 見つけた師は山口流の山口卜真斎だ。

26歳、江戸
 あれから13年たった。
 愛宕山に祈誓した。北陸越後へ武者修行の旅をした。そしてようやく師の山口卜真斎(ぼくしんさい)から免許の巻物を許されたのだ。
 これから江戸だ。人生の勝負を賭けるのだ。山口流の看板を掲げよう。江戸へ向かう辻兵内の目には空の青さが目に染みるようだ。

江戸での苦戦、麻布吸江寺へ
 麹町の道場は閑古鳥が鳴いていた。
 技術だけでは伝えるものがない。自分に欠けているものがそれだとようやく気づいたのは大人になった証拠だろうか。武士としての素養も学びなおそう。
 それは禅だ。
 そして禅を深く知るための中国の古典も教えてもらおう。
 辻兵内の足は禅寺、麻布吸江寺へ向かう。新しい修行がはじまるのだ。


34歳 居合
 居合にも出会った。
 師は多賀自鏡軒。師の山口卜真斉が江戸に来たことがある。「見せてみろ」と
言うから、試しに灯明の火をじっと見つめて集中した。
 居合の本義は抜刀の一瞬にあり。
 その抜きつけだけが居合なのだ。
 だから、抜き打ちのその一刀で灯明の火を消して見せた。このころは絶対の自
信があった。「もう一度」「もう一度」と師は言うから、結局三度消した。
 最後はわが師も感嘆してくれた。
 34歳。しかし、人生の光が見えない。


45歳、卒業証書、偈(げ)
 京から江戸に出て、20年近く経った。ようやく卒業証書がもらえる。
 それは言葉だ。それを偈(げ)と言う。道を教えてくれた神州和尚がくれるが、元々は亡くなった石潭(せきたん)禅師に師事していた。だから石潭和尚の名で
くれるという

無外流の誕生
 もらった偈は五文字の四行からなる漢詩の形だ。五言絶句の詩形式の卒業の言葉はこんな内容だ。

 一法実に外無し
 乾坤一貞を得
 吹毛まさに密に納む
 動着すれば光清し

 宇宙の真理は一つでほかにない、ではその真理とはなんだろう。
 とまれ、その真理を追いかける流派にしよう。人生を賭けてたった一つの、最も重要な真理を追いかける流派なんて素晴らしいではないか。
 わが流派にとって最も重要なこの一句目から流派名をとろう。
 無外流。
 45歳、まだいける。
 名前も変えよう。
 辻月丹
 悪くない。

79歳 真理は最後に初心に戻る
 あれからいろいろあった。大名たちがこぞって習いに来た。後世に自分の見つけた真理を残すため、形の名前にそれを隠した。すべての法則はたった一つの真理に行き着く。
 それはこの形の抜き打ちのただ一刀だ。
 後の弟子たちが「基本一」と呼ぶ抜き打ちの一閃。その形の名前は「万法帰一刀」すべてはこの一刀に帰る。基本中の基本に戻るのだ。基本中の基本とは最初に学ぶその一閃だ。
 「さらに参ぜよ、三十年」
 弟子たちに残してやろう。

日本中に広がる無外流。その後の伝播の様子はこちらから>>>